〜 視点を変えればいつだって新しい日々(05) 〜



2010年7月下旬
 

「自然回帰」


夏山のシーズン。


今年は登れるだけ登ろうと決めた夏。

競合奪取のため夏はイベントだらけなのに、それでも登ろうと決めた夏。


第一弾、南アルプスはかなり過酷で。

相変わらず1時間仮眠くらいでウチを出発して、

静岡インターで名古屋からの友人と待ち合わせ、道の駅で1台置いて再出発。

途中の夏季駐車場で止めて準備し、バスで椹島ロッジへ。

眠い目をこすりながら歩きだす。


千枚岳を越え、悪沢岳(3,141m)に着いたのがすでに16時を回ってて。

そこから、荒川中岳(3,083m)を越えて、荒川小屋についたころには、

すでに19時を越え、霧も出てくるわ、暗くもなってくるわで、

やっと着いた山小屋の親父さんから「いつまで歩いてるんだ」と怒られる始末。

初日、10時間登山は、去年の五竜・鹿島槍に次いでの長時間登山。

キツさでいくと、人生ベスト3のかなりしんどい登山。


 

翌日は、初日とうって変わって、

最高の天気。

100キロマラソンの効果か、

そろそろカラダが不感症になってきたのか、

筋肉痛も全くなく、すっきりと起きて朝の4時から歩き始める。


 

2日目は赤石岳(3,120m)を

登り、また9時間かけて

椹島ロッジまで下る。

しんどい。

しんどいけど、山々から昇る朝日を見れば、やっぱりどうでもよくなって。

しきりにシャッターを押しながら、やっぱり登ってきて良かったと、いつものように思うもので。


正直、二度とこんな辛い思いしたないっ!って。

絶対にもうやらへん!って。


いつもどおりのことを、何度も思いながらも、どうせまた登るんやろなって。

ただ、これまでのように、普通2泊3日のところを1泊2日でいったりする無茶はもうやめようと。

もうちょっと、山をのんびり楽しめるようになりたいと。

ただ、とりあえずの目標は、国内3000m級制覇。

今回ので21ある3000m以上の山のうち、14つまでを制覇(⇒参照

残り、7/21

それが終われば・・・100名山??

そろそろ山専用のページでも作ろか・・・。


2010年7月上旬

 

縁は異なもの味なもの


入社してすぐの頃、目の前に座っていた先輩がいて。

なぜかお互いに呑みたい時期とかもあって。

そんなときは、月に20回もその先輩と呑むときもあるくらいで。


その先輩が別の部署に移り、月に1回くらいしか呑まなくなった頃、

仕事でもぼちぼち独り立ちしようとしていた頃に一緒に仕事をするようになった女性がいて。

3年くらい一緒に働いたけど、すごく僕の人生に影響をくれた人で。

その人がいたから、ここまでこれたって思えるくらいに素敵な人で。


たまたまその先輩と呑むときに、3人が一緒になったことがあって。


そのまた半年後くらいに、たまたまその先輩へ頼まれ物を届けるのに

そのひと(女性)に頼んだことがあって。


そんなきっかけからでも、こうなることもあるってことらしい。


大好きな二人の結婚。


そして、人生2度目の、婚姻届の証人。


隣には某業界の大物のサイン。

こんな緊張するサインは久々やったよ(汗


末長い幸せを祈っております。


2010年6月中旬
 

隠岐の島っ!


同期の同級生の隠岐の島の実家にお世話になり、

前日はおじさんがクルマでコースを下見に連れてってくれて。

すんごい良い天気と景色で、なんとなく100キロ走れるんじゃ・・・って気になって。


当日、朝3時半起床。

4時過ぎに家を出て、スタート地点へと移動。

5時のまだ薄暗い中、ついにスタートのピストルが鳴った。


とにかくまずは48キロ地点にあるレストステーションまで・・・


って、朝早かったせいか、移動疲れのせいか、前日の日本代表戦のせいか、

とにかく眠いっ!走ってる最中に、何度も寝そうになる。

前半は天気も良くて、水分を随時補充してても何度も気が遠くなる。

25キロくらいで、頭の中は「寝たい、寝たい、もう寝てしまいたいっ・・・!!!」

って。


そこから高低差250mの山・・・


をヘロヘロになりながらなんとか越えたころにポツポツと降り出した雨が、

あっというまに土砂降りのスコールのような雨に。

目が覚める。筋肉が冷える。アタマがすっきりして、気力が満ちてくる。

まさに恵みの雨。

40キロを超えたころにもまた降り出す雨。


ずぶ濡れになりながらも、おかげでなんとかレストステーションに辿り着く。


そこには、20キロ地点にも応援に来てくれた大上夫妻が来てくれてて。

応援してくれる人がいることがすごい嬉しくて。

預けておいたシャツに着替え、スプレーで筋肉を冷やし、栄養剤系を補充して。

おにぎりとそうめんとカレーをかっこんでまた走りだす。


既に脚に溜まった疲労で速くは走れんくても、

ちょっとずつ一歩ずつ足を前にだしていく。

また降り出す雨、鳴り響く雷。

それでも沿道の応援は尽きることもなく、

そんな中を走っていると、

「きっとええことあるぞ!こんななか走ってるんやから、きっとええことあるぞぉ!!」って。

それ以外にも、ゼッケンから名前を探して名前を呼んで応援してくれる人がいっぱいいて。

島じゅうから応援されてるようなすごくうれしいマラソンになってて。


辛くなったらi−podを耳に突っ込んで、ドーパミンを出し、

ちょっとずつ歩くことも増えつつも、なんとか走り続けていくけど、

マラソンには足切りの関門がいくつも設置されててて。


59.0キロ地点8時間50分関門をなんとか20分前に通過し、

70.8キロ地点10時間25分の関門を10分前に通過、

77.4キロ地点11時間15分の関門を5分前に通過・・・したときには、

ついに足に痛みが出始めて。

もうアカン!って、足が動かへんくなって。

でも、とにかく80キロの計測地点でタイムだけはとりたい!

って、どうにか80キロを超えたときには、もう激痛で走ることもできず、

ただ足を引きずって歩くだけで。


ギブアップする方法も分からず、

とにかく次の関門までは行こうと、トボトボと歩きだす。

その前の関門をギリギリで越えたってことで、ほぼラストランナーとなっててて。

見かねた大会関係者がわざわざバイクでスプレーを持ってきてくれて、

なんとかまた走りだし、これを越えても越えなくてもここまでで限界や・・・って、

85.1キロ地点12時間25分の関門までなんとか走ったけど、

12時間27分15秒の2分ちょいオーバーで足切りになり、隠岐の島ウルトラマラソンが終わった。

 

バスでゴール地点まで運ばれ、

まだ続々と帰ってきて、

メダルを受け取るランナーの

横で記念撮影。

足を引きずりながら家に帰ると、

大上夫妻がバーベキューの準備をしてくれてて。


とれたての海の幸と牛肉と。

おいしいビールと日本酒と。


やいのやいのと最高の時間を過ごして、隠岐の島の夜が更けてって・・・


 

翌日は完全ダウン。

仕事も休みにして、

午前中はバッタリ倒れてて。


めちゃくちゃお世話になった

夫妻に別れを告げ、

島を後に・・・。


いや〜、悔しい!

メダルが欲しいっ!


人があたたかくて最高の島。

隠岐の島、最高!



【隠岐の島ウルトラマラソン】

記録:85キロ関門にてリタイア

    時間:12時間27分


二度とこんな辛い思いしたないっ!って。

絶対にもうやらへん!って。

何百回も走ってる間中思ってて。

これが最後やからもうちょっとだけ頑張ろうって。

そうやって何度も気を失いそうになりながら走って走って、




それでも、きっと走りきれるまでまた走るんやろなぁ。

こんな途中じゃ止められへんから。

楽しみはまだまだ続きます・・・。


2010年6月上旬
 

こんなに綺麗な朝焼けの日に


ついに・・・

隠岐の島100キロウルトラマラソンの案内状が届いた。

大会概要や誓約書、各種案内に交じって、一通の手紙。

地元の小学校の生徒からの応援メッセージ。


中途半端には走られへんな・・・って。


例年になく業務が過酷で練習できんかったとか、

多少以上に体調が悪いとか、

もうそんな言い訳もきかんなと。


100キロを走りきるというよりも、

自分の限界まで走りきろうと。


31歳になって3日目の朝5時スタート。

制限時間14時間30分。

エントリー総数683人(うち100キロは391人)


いつでも新しいことを・・・って、ここまで無謀なことを。


なんのため・・・とか今さら言わへん。


ついに、今週末、100キロマラソンに挑みます。


   


 

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